[ネコと話す]stylesense004
- あおひこ

 - 2022年6月6日
 - 読了時間: 2分
 
更新日:2022年6月23日
ネコと暮らした年月は、上京して独身だった23歳のときから、’19年に最後のネコを看取った夏までの36年間、合わせて5匹のネコが人生の傍らにいた。
ネコの鳴き声は誰にでも聞こえるが、[ネコの声]はネコの気持ちが分かる人にしか聞こえない。
ただし、そのことが[ヨーガの秘技]によるものかどうかは断言できない。ネコを愛する人なら、長年連れ添ったネコの気持ちを汲み取ることはそう難しくはないからだ。
[ネコと話す]となると、一方的ではなくヒトからの気持ちが伝わり、ネコがそれに応えて…という双方向のやり取りがあることになるが、飲み続けることで果たして話せるようになったのか?
答えは、否である。少なくとも生きている間にネコたちとの会話が成り立つことはなかった。
想像していたこととはちょっと違って、亡くなった後に共に暮らしたネコたちと話をするようになった。それは決まって起きがけの微睡の中たまに傍らにやって来て、名前を呼ぶと顔を上げ「にゃんッ」と応え、「会いたかった、ここにいたんだ」と声を掛けると身を擦り寄せ、撫でたり掻いたりしてくれとクルリと胴を捩ったり首を預けてくる。
「それって夢やん」というツッコミが聞こえてきそうだが、ただの夢とは違い目が覚めても存在を感じられる。
人間には自我(ワタシ)があるので空間だけでなく時間の中を生きているが、動物たちには個体別の自我はなく、人間で例えると生きている間は夢見心地で、亡くなって初めて時間を生きるようになる(ようだ)。
そして、実は目に見えないだけで共にあるんだ、ということに気づくことで死別による強い喪失感は消え去った。
あの世のヒトたちとはまだだが、少なくとも猫界との[つながり]はできた。
今回も読んでくれてありがとう。
コメントや質問をいただけるとなお嬉しい。
ではまた(^.^)b
※画像は'98年、我が家の黄金期で3匹のネコたちと暮らした日々。



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