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[民族魂]stylesense030

感情表現のつづきを少し。

世の中には[せっかち](関西:いらち)と[あわてもの]が見受けられるが、ワタシは[あわてもの]の部類に入る。

ここでも内に流れる時間と外で求められる時間の流れのギャップがある。

内よりも外の流れが速いと[あわてもの]になり、逆に外よりも内の流れが速い場合には[せっかち]になってしまう。


さて、今回は個人のスタイルに影響を与える、もっと大きな民族という枠組の魂について…ここでいう民族とは、同じ言語や生活文化、そして宗教を共有する人々のことをいう。イコール国籍とは限らない。

そして、この[民族魂]は時として個々の魂の違いよりも大きく、特に日本語を母語とするワタシたち-不思議な国のニッポン人-は、他の民族からすると理解し難い、とてもエキゾチックな性質を持つ。

最も特徴的な特質がコロナ禍の反応に現れている。個々の考え方で判断して対応するのではなく、周りの様子を伺って同じ行動様式を取ろうとする。同調圧力に先行する無意識の[同調行動]というものだ。

そして同調行動を取っている限り、一つの経験が個人の成長に繋がることはない。ある経験が自らの身となるためには、あくまでもワタシの考えとワタシの判断によるワタシの行動でなければならない。そこで初めてワタシの責任が生じて、ワタシの失敗がワタシを成長に導いてくれる。

[同調行動]によって経験したことは個人の[経験]とはならず、個人の集合体である[塊](共同体)が変革されることはない。

政治の変革に関わる選挙においても、この[民族魂]が強く働き、とても民主主義による変革が起こることはない。悲しいことではあるけれど。

そんなニッポンにおいて、早ければ保育園や学校で、遅くとも社会に出て行く段階で集団の中での生き難さを感じ、[普通]や[当たり前]に疑問を抱き、気がつくと仲間外れにされたりイジメを受けて、集団からは距離を置くようになる。ニッポンの[共同体]、つまり昔から変わらず存在する[ムラ社会]において、個人の立場を貫いて居場所を確保しようとすれば[変わり者]というレッテルを自ら貼るしかない。

夏目漱石がイギリスで直面した[個人としての経験]による苦悩は、120年経ってもニッポン人の大きな課題として、ワタシたちに突きつけられている。

白状すると、ワタシの内面においては[民族魂]の[同調行動]へと誘う圧力はかなり強い。分かりやすく言えば、典型的な[ニッポン人]ということだ。ただし、同時に個人の魂の特質として[天邪鬼]というものが強く作用する(中学2年生の頃から)。周囲の様子を感じ取る[空気を読む]力はあるが、[天邪鬼]がそこに反作用として働き、結果として[ムラ社会]の規範に逆らった行動を取ることになる。

2012年に白血病を発祥するまでは、その[天邪鬼]魂が功を奏していたが、闘病に向かう過程で、それでは何かが足りないと、感じるようになった。その背景には時代そのものが動いている、ということも大きいが。

この地上で生きて、[経験]をしっかりと積み重ねて行くためには、[同調]は不要でも[協調]は欠かせないことを少しずつ学んでいる。還暦を過ぎたワタシの課題だ。

 

今回も読んでくれてありがとう。

コメントや質問を頂けるとなお嬉しい。

ではまた(^.^)b


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