[民族様式]stylesense031
- あおひこ
- 2022年8月9日
- 読了時間: 2分
今回は民族魂におけるタブー、日本民族の精神性について触れてみよう。
これは日本以外のほとんどの国が認識していることで、唯一国を出ないニッポン人だけが意識することのない事実である。
それは[天皇]という存在と、それを中心(中空)に行われる“まつりごと”(政)のこと。
旧憲法(大日本帝国憲法:〜1945)と新憲法(日本国憲法:1946〜)の大きな違いは主権(国の意思決定権)にある。旧憲法では主権は天皇にあり、軍の統帥権も天皇にあった。そして敗戦で疲弊した日本を立て直し、対共産主義の勢力とすべく、GHQは天皇を戦犯とせずに新憲法では象徴として、形だけのものとした。
一般的な感覚では形だけ残すことは、形骸(中身のない形だけ)化することになるが、日本の場合には違ってくる。
思い起こしていただこう、数々の日本文化の様式を。そこでは形こそが重要であり、時代を経ても常にそこに新たな命が吹き込まれる。華道や茶道は言うに及ばず、武術や伝統芸能において重要なのは“型”なのである。
実権なき象徴とは、まさに日本的な型そのものであり、日常的に意識をしない分、最も深いところ=精神性に今もしっかりと生きている。だからこそ、崩御や婚姻や即位などの節目、後継ぎ問題が浮上すると、政治をはじめ国民全体が右往左往する。
この精神構造、つまり“まつりごと”の形が変わらない限り、民主主義も個人主義も市民権を得ることはないだろう。
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