top of page

[個と全体の乖離]stylesense018

いにしえの時代、神は感覚的に捉えることができ、暮らしの中に存在した。神話が語り継がれ、生活の中心には様々な儀式や祝祭があった。

中世から近代にかけ、次第に宗教に代わって、科学によって物事を理解する[悟性](科学的思考)が社会および個人の生活の礎となった。科学技術によって文明は進化し、人々は生活における利便性と効率性を追い求めるようになった。

そして時代は再び、あの世(精神界)とこの世(物質界)の境目である、無意識の壁が薄くなりつつある。いにしえの人々が“神”として親しんだ存在の領域を程度の差こそあれ、多くの人々が感じ取れるようになってきている。

科学的思考法では理解し難い掴みどころのないイメージは、不安や恐れによる鬱病や焦燥感をもたらす。それによって精神障害と見なされたり、精神的に追い込まれることになる。

地域や民族によっては、今も生活習慣や基本的な考え方の中に宗教(あの世とのつながり)的要素を残しているが、その他多くの人々にとっては、馴染みのないオカルト(忘れ去られた技術や知識)でなしかない。

先進国と言われる、一見生活水準が高いように思われる国々でカルト宗教が隆盛を誇り、抗精神病薬が大量に処方されているのも、そのことが原因だと考えられる。

ますます乖離していく個(内界)と全体(外界)に橋を架けるためには、再びあの世(個体意識)を捉えるための新たな知識(精神科学)を得ること、そしてその知識を生かすための経験を実生活で積み上げて行くしかない。

その際、誤った知識や怪しい団体に惑わされないためには…これまでの経験(悟性による実践)にかかっている。つまり、同じワタシの[経験]というものの対象が変わるだけで、この先に進もうとする道が正しいかどうかを左右するのは、これまでのこの世での歩みにかかっている、ということになる。

そのようにして、ワタシはもう一度あの世(神)とのつながりを意識的に構築することが、この時代に生まれた最大かつ最重要なテーマである。


今回も読んでくれてありがとう。

コメントや質問を頂けるとなお嬉しい。

ではまた(^.^)b


Comments


を送ってみる

bottom of page