[哲学的身体論]stylesense015
- あおひこ
- 2022年7月7日
- 読了時間: 2分
(ここでいう[哲学的身体論]とは、個人意識の器である身体へのアプローチを通して、ワタシ[自我]を深めていく[自己変貌]のこと)
‘86年秋に結婚して京王線・下高井戸駅商店街の雪華堂(ケーキ屋)ビル3階の部屋に暮らし始める。深刻なヘルニアを抱えていた連れ合いは、野口整体を学び始めた友人の鍼灸師の訪問治療を半年に渡って受け、椎間板は完治した。
‘87年夏に予定していたインド・ネパールへの新婚旅行に仕事が忙しくて行けなくなると、連れ合いは行き先を変更して一人でギリシャ・トルコの旅に出かけ、約3カ月間流離い秋まで戻らなかった。
その間、ヨガの本『生死を超える』を読んで自宅でクンバカ(止息法)に励み、近くにあるヨガ道場を覗いてみようかと友人と話していたら…ある日突然、看板が「オウム真理教」と変わったので行くことを止めた。
‘87年春に下北沢界隈で流行った[飲尿療法](ヨーガの奥義)、『朝一杯からのおしっこから』を読み、翌朝からさっそく始めた。
‘88年8月、下北沢の自然食レストラン「ぐ」の仲間たちと乗り合いバスで八ヶ岳麓のスキー場に行きキャンプイン。和製ウッドストックとも言われた「いのちの祭り」NO NEKES ONE LOVEに参加した。
‘89年夏、知人に誘われて吉祥寺・東進ハイスクール内の能力開発研究所で行われていた気功講座に参加する。練功に励み、気功インストラクターとして助産婦さんや家族を介護するち人たちに按摩導引法的な功法を伝授した。
そして夏の終わり、渡仏する直前に能力開発研究所を通じて知り合った精神世界好きの面々で、八ヶ岳麓の身曾岐神社(教派神道十三派の一つ)の初学修行座を受けた。
ヨガ(インド)→気功(中国)→古神道行法(日本)と身体感覚を深めようと、時代の流れに身を任せて研鑽を積んでいった。さて、これらの経験を重ねてワタシは変わったのか?
否、基本的には頑固で天邪鬼で自己中心的なところは何も変わらない。ただし、裡に深く踏み込んだことで、自分自身をより明確に意識するようにはなった。
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