top of page

[宗教遍歴]stylesense014

更新日:2022年7月3日

さて、このところ話がすっかり宗教じみた説法みないになっているが、その勢いのまま宗教遍歴を記してみよう。

前回も触れたように父方の祖父は日蓮宗「正見寺」のお上人、父は跡を継がずに銀行マンになった。幼稚園は自宅から近い日本キリスト教団附属の「めぐみ幼稚園」に通ったが、近い方が安心だろうと薦めたのはその祖父だった。

まともに本を読むようになったのは20歳になってから。それまで学校の図書館で借りていたのは、探偵物かSF小説そして天文学関係の写真集や資料ばかり。

高校生になって創刊された雑誌『Outdoor』で紹介されたバックパッキングとその思想背景であるエコロジーに強い関心を抱き、H.D.ソローの『森の生活』に始まり、E.F.シューマッハの『人間復興の経済学』やイヴァン・イリイチの『脱学校の社会』などを読み漁った。

当時、反原発運動で知り合ったのが「ベ平連」の流れを汲む全共闘世代であり、出版界でライターや編集者をしている人が多かった。就職をせずバイトで食い繋いでいたワタシは出版社に出入りするようになり、気がつけばカウンターカルチャーを標榜する別冊宝島シリーズ(旧:JICC出版局)、そしてあの『Outdoor』(山と渓谷社)などでイラスト描きや出版物のレイアウトデザインの仕事をフリーで引き受けるようになっていた。

青年後期の色濃い洗礼によって、カタログ消費文化の落とし子のようなPOPEYE世代の少年は、ちょっと遅れてきたフラワーチルドレンに変貌を遂げ、反原発闘士となったのだ。

21歳のとき自らデモを主催し、仲間と渋谷公園通りを練り歩いたりもしたが“他者を変えることはできない”という当然の帰結に至る。

自らの内面へと向かい始めた25歳のとき、インドに呼ばれてカルカッタ(現:コルカタ)に降り立った。

ダージリン経由でネパールに入国、当初の目的だったヒマラヤでのトラッキングのためにポカラ入りし、サランコット周辺で体験したが、ほんの数日通過してきたインドのインパクトが強く、再びインドに入国してヴァラナシ(ベナレス)へと向かった。

ひと月ほどインドを流離い、カトマンズに戻ったが、帰国してから地図を眺めるとネパール国境近くのインド北東部にはブッダゆかりの地が多く、これは亡き祖父の導き…というか思いを遂げる旅だったのだと感じた。

帰国した翌年’86年(26歳)に下北沢の本屋「ワン・ラブ・ブックス」で店番のバイトをしているとき、逆カルチャーショックに悩むワタシの固く肥大したアタマに衝撃をもたらした本『自我の終焉』(J.クリシュナムルティ)と出会った。

後で知ることになるが、彼が亡くなった直後であり、本屋店主のミューラー氏によれば“没後の弟子”と言うらしい。

   後篇[哲学的身体論]につづく

今回も読んでくれてありがとう。

コメントや質問を頂けるとなお嬉しい。

ではまた(^.^)b


Comments


を送ってみる

bottom of page