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[真夜中と昼間]stylesense009

更新日:2022年6月23日

[眠りと死]007のつづき…

眠りと死が、その本質において相似しているように、眠っている[真夜中]と起きている[昼間]を繰り返す日々が、あの世とこの世を行き来する輪廻転生の縮小版のようなものである。

眠っている間に意識がないのは、前世の記憶がないのと同じく、限られた枠組みの中で、いかに錬成していくかを試されて(ワタシが試して)いるからだ。

もし、この世での苦難、今日一日起きることをあらかじめ把握していて、課題に取り組んだならば、ヒトとしての力は培われない。解答集を見て問題を解くようなものである。

苦難に打ちひしがれて“死にたい”と思うのは、この世を離れてあの世に戻れば…もしくはワタシそのものが消えてなくなれば…楽になれる、と考えるからだろう。

ところがドッコイ、決して楽になんかなれない。なぜなら“楽になる”という考え方自体が、この世の限られた枠内(カラダの中のワタシが考えるアタマ)のものであって、その枠が取っ払われた領域では、当然のことながら考え方もより広い視野を持つ(苦難の元を知っている)。

ワタシも決して無くならない。

この世で闘い続けることは大変だ。たまには休むことも、時に逃げることも必要。でも“苦難”そのものが問題なのではなく、本来それに立ち向かえるワタシの力が損なわれていることに気づいたとき、状況は変わらなくとも、そこに意味を見出して、ヒトは前に進めるものだ。

その気づきの切っ掛けは、信頼できる人の言葉だったり、健気に生きる道端の草花だったり、かすかに聴こえてくるココロの声だったりする。


今回も読んでくれてありがとう。

コメントや質問をいただけるとなお嬉しい。

ではまた(^.^)b



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